「草を踏む音」:OPはアヴァンに譲る形で省略。次回予告のサブタイ短冊は土井美加氏ナレーションによる『この世は人知れぬ生命に溢れている』の作品キャッチフレーズとともにフェイドアウトしていき(-齟齬があるのは承知で-第一話のサブタイへ移る形を取ったら面白いと思った。だってこのシリーズは円環状ではないですか。どの回からみても問題ない造りになってる)、特別エンドカットとして馬越嘉彦氏の絵(背負い子姿でこちらを見遣るギンコ)と筆(「またいつか」だったと思う)によるお別れメッセージ。本編の方は、特に印象の強い類というわけでもなかったですね。強いていえば少年ギンコが再登場したのがスペシャル仕様といえるかも。蟲師に焦点を当てず、蟲師と一般民との間をさらに繋ぐ、蟲の気配にそれなりに敏感な人々-その中から「渡り」という集団が生まれる-からの視点で綴られた話。放映最終話にあえて脇道から光を当てる趣向を取るというのがなかなか渋かったと思います。
→ 一般民 ↓
蟲 渡り
↑ ↓
蟲師
みたいな(矢印は働きかけのベクトル)感じで世界は円の形で繋がりあっている、拮抗しあうと同時に関係し合っている“寄り合い所帯”である、と。そのテーマ性を最後にさりげなくも端的に描きだした試みだったようにも思えます。蟲に心悩まされる集落の元へ蟲師は訪れる。それゆえに外れものの彼らは馴染んで定住こそ出来ないとはいえ、一般多数民から必要とされる。そんな彼らの移動母体となることも多い「渡り」は、蟲師よりもさらに一般民と近しく交わる。あの世界観に、無駄とされる存在はないのではないでしょうか。すべては必然、というか在るものが在るがままに在るべき姿を常に模索しつつ。誰もが、世界相の多彩で豊かなグラデーションの中に含まれている。その実感を得ることこそが、何よりの安寧なのでしょうね。