それにしても、わりとベタに青春叙情ドラマやってるのにあまり鼻につかないのは(以前も同じこと言ったけど)たとえばBGMをノスタルジーを誘う感じの選曲にすることで、虚構っぽさを常に意識しているからかなと。
『唯幻論』という岸田秀氏が提言した理論がありますが、本作のテーマを読み解く鍵がこのタームにあるような気がしてきています。「人間は本能が壊れた動物ゆえに幻想こそが生きるために不可欠である」といった感じの学説なんですが、その主張をいっそ前向きにとらえてみようじゃないかというのが本作の胆なんじゃないかなあ。前回、アークのデータが転送時に決定的に壊滅してしまった時、クリスは決して振り向いて正面から妻のコマ欠けしていく姿を見ようとはしていなかったんですね。この場面なら、オーソドックスに演出を付ける時に“愛する者の最期の姿をつらいけど目に焼き付けておかねばならない”という判断になると思うんです。でも、本作の場合はそもそも実体がすでにない。いわばそこにあるのは幻だけ。だからむしろクリスはアークが形を失っていく姿を見ずにいる事が愛情と信頼を示すやり方として適切だと知っていた。…のかなと。強く“信じる”ことだけがデータ人間たちにとってお互いを支える唯一の方法なのかも。
ところで遅ればせながら思いいたったんだけど、上海サーバーが機能を停止しているということは、メイメイ姉妹やルーシェンって日常をおくる場所を持ってないということなんですかね。ずっとオケアノスで過ごしている?