2005年02月22日

ジパング#15「生者と死者」

おお、これが噂の暗い画面。確かに分かりづらいけど、戦場での混乱演出ととらえればまあ納得はできる。

大和の追撃は止めることに成功したが、角松一行は柳(いかにも持久力系訓練が苦手そうだものなあ)が米兵と遭遇してしまったことにより、八人の命をその手にかけることになる。部隊全体は救うことができたのに偶発した状況により本来は戦う必要のなかった八人を抹殺したという重み。計りかねるその事実を、角松が出港前にジャーナリスト(この人の名前失念中)に語った言葉を遠く重ねる音響演出が沁みた。つらいのは、これからなのだよね。しかもずっと。

ちかごろは「戦争ができるふつうの国」への準備をすすめるべきだと、それこそ社会にも出てない若い人でも述べている場によく出くわすけれど、それらの人たちが“大きな戦況”ではなくて角松たちが遭遇した“小さな戦場”に自分や身近な人が投げ入れられることになるかもしれない可能性についてどれだけ具体的に想像しているかはじつに怪しいものだとよく感じる。戦争自体が紛れもない地獄ではあれど、その際の政権内組織論理における合理性の度合いによって地獄にもやはり等位は付くのではないかと、ガタルカナルや満州での日本軍民の悲劇、スターリングラードにおける独軍包囲の惨劇について漏れ聞く時、私は考えてしまうのですが。できうる限りは、角松のごとくに自分が生き残るために手にかけてきた存在を背負える覚悟を常に意識したいものです。その事が、きっと逆に自分たち自身を袋小路に追いやる過程を見直す助けとなるだろうから。
posted by 三和土 at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ/TV番組感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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