2006年10月17日

妖怪人間ベム#26(終)「希望の灯火」

久しぶりに視聴。“人間とはなにか”というテーマ性が明確な作品だったんで、終わりどころは気になっておりました。

結論を先にいえば、その点においてはまずまず手堅くかつ分かりやすくまとまっておりました。終幕ナレーションとして「これで『魔の世紀』が終わったわけではない、だが(後略)」と述べられていますが『魔の世紀』とはどういうものかというと“人として追求するべき理想の姿が見失われた時代”という現実の世情を投影したものなのではないかと。それゆえにベムやベラはシリーズ中盤から自分たちが目指していた人間への道は空虚なものではないかと悩むし、また自分の欲望に簡単に右往左往する人間たちも繰り返し描かれてきた。

そのアンチテーゼとして、子供たちの共鳴しあう純真さを持ってきたのは古典的である(し、いじめっ子たちまで単純にベロ助力に名乗り挙げてた武上せんせい脚本クオリティ部分は強引すぎた)けど、雲英ちゃんというキャラクターの可憐さが大いにフォローしていました。母のいうなりに聞き分けのよい行動を取って心優しいながらもお嬢様然としていた少女が、最終回にて活動的な服装と髪型に変わってベロたちが逃げ込んだ地下水道に向けてメッセージとして皿にのせたろうそくを落とす。そのシーンの叙情性はかなり美しいものでした。演出でベタなシナリオがカヴァーされることってあるもんですね。

前シリーズは未視聴なので比べることはできないのですが、今回の新シリーズにおいては、ベムたち妖怪人間が人間に近付いたというよりも、人間たちが“自分たちもまだまだ『人間』の真の意味に届く生き物ではない、だから一緒に道を歩んでいこう”と頭を謙虚に垂れる可能性を提示したという形で希望を示したのだと思います。希望や理想のあるとなしでは大違い、という事を表現できていたという意味で、けっこうきっちりオチは付いたんでないかな、と。

なんだかんだで、ベテランによるシリーズ構成は大外しすることはないのかもなと思ったりもしたのです。でも、くどいけど序盤のマイナーなまでにおどろおどろしいサイケな色彩のホラー演出が影をひそめたのは残念でした。あれが貫かれていれば、もっと特異なシリーズとして面白くみられたと思う。
posted by 三和土 at 00:03| Comment(1) | TrackBack(0) | アニメ/TV番組感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
復活の呪文! あああああああああああ
Posted by at 2010年03月07日 16:54
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