・マクシミリアンはルイ15世で、ルイ15世はマクシミリアンで。つまりルイルイ、王族の子じゃなかったのねー しかもフランス人ですらなかったと。そのあたりもうちょっと具体的な説明ほしかった。しかしもしもマクシがそのまま王座に着いてたら、細面の文人王になってたのだろうなあ。でも縦ロールかつらは似合わなさそうでし。
・革命側に立ったロビン(カリオストロ夫妻と人民の前に立って演説する姿は盛り上がったけど、断頭台に掛けられていたあの頭は…やはり?)に対してデオン=リアはあくまで国王を護る。そしてそれは最愛王にとって結果的に非常につらいと。っていうかブロリーあれで死んでないのかよ! もうおまえが天下獲れよ(笑)
・デオン=リアの手を握るマクシミリアンの手。これはパト2や人狼でも見られた、プロダクションI.Gのお家芸・間接的エロス描写。今回も細妙な出来でした。あのふたり、身体的にはチッスもしてないんじゃないか。…で、異母兄妹だったという設定の意味がよく分からなかったんですが。
・ちょwwww わんわんサン・ジェルマンwwwwwww
・拮抗する魔力戦の最中で「おとこおんな!」と叫ぶロレンツィア。名台詞だわ。
・ロビンを見下ろして「王家の詩」を戻せと言い渡すデオン=リアの構図にはしびれた。渋すぎるクライマックスシーン。もう一足早くロビンが書を戻していればあるいは。しかし時間の砂は淡々と流れ落ちていた。
・剣や花はくずれほろびゆく。しかし歴史書に言葉は残る。「王家の詩」は「革命の詩」となった。定められた預言を垣間みる者はそこになぜか絶望ではなく希望をみる。大河の流れに乗る恐怖と悦び。傍観者となったデオン=リア、歴史を動かす者として名を変えたロビン=マクシミリアン。どちらの方がはたして寿福なのか?
・エピローグに流れるのは、第一話以来の壮大な印象のメインテーマ曲。一本の映画のような構成ですね。
全体的に満足ですが、「分かりにくい」という欠点があったことはやはり拭えない。詩人たちが口にする聖書のフレーズが長すぎて理解できないために戦闘シーンとして気分が盛り上がらなかったり、あともっと気になるのは最終話をみた後でもキーキャラクターであるマクシミリアンの謀り事の全貌がどうもつかめない。それと、淡々とした基調演出は良いとしても、その中にもう少しは起伏があったらさらに良かったと思います。メアリー=シャロットのような色気がメインキャラにもっと欲しかった。
それにしても、主人公はロビンやマクシミリアンの方だったのかもしれませんね。視ていてデオン=リアの忠誠の考えに同調しきれたとはどうも言えないし。
とはいえ、有料映画専門チャンネルであるWOWOWでしか成し得なかったいぶし銀の語り口と、プロダクションI.Gならではのリアルタッチの画面を最後まで大きく崩すことなく保たせたことは間違いなく賞賛に値します。楽しませていただきました。関係者の皆様には「お疲れさまでした」と言葉を贈らせていただきたく思います。
(追記):テーマをひとつみつけるとすれば、「歴史は護ろうとする者と超えようとする者、双方によって紡がれる」でしょうか(この事はOPで剣を交わすリアとデオンのカットでも表されているし、そもそもデオン=リアの融合自我のあり方そのものがモチーフとして示している)。デオン=リアはそれを悟ったゆえに国政に関わることが不能となった。真実を示してはいるけどやはりもの寂しいですね。私はそういう幕の下ろし方、好きですけど。
絶対王政から共和制へ、そして騎士としての貴族から民衆への時代という思想の変遷を王家の詩というエスパー大戦で表す物語は面白かったものと思えます。
しかし、仰るようにロベスピエールが自分を王家から追った王族への復讐として革命の道を辿ったのは分かるとしても、その為に如何してあのように手の込んだ事をしたのかが少し理解できなかったものです。親友であったデュランを殺してまでする価値のあることだったのかも。
ロビンの行動は分かりやすかっただけにそれを余計に感じたのかもしれません。
その彼のマリーへの思慕を形とするためのルイ殺害行為をマリーに止められるシーンでの切ない表情は印象的でした。
同時にルイが最後に呟いたマリーという言葉も。
三和土さんの仰る鉄人ブロリーは、王家への忠義の人でしたね。私は彼がマクシミリアンを刺したのは、幼き日の彼を殺せなかった己が責任を感じて刺したように妄想してしまったものです。王族の王子を殺すに忍びなかった己の甘さ、そしてフランス人たろうと努力するルイ15世を守護するうちに沸いた愛情、そういったものを感じたものでした。
デュランと先生が言葉にも回想にも片鱗さえ見せないのは潔く思いました。
それは未来への始まりたる最後には似合わないのでしょうから。
ところでデオンがその後は女性の服装をしていたと描かれてますが、ならば最初の老いた男装(?)のデオンが執事といる場面は何だったのだろうかとも思ったりしました。
三和土さんはマクシミリアンとロビンが主役だったかも知れないと仰っていましたが、私も己を捕らえに来る反動派の気配を感じながらロベスピエールたる晩年のロビンが、己をロビンとして過去の術壊を始めるというスタイルもありだったかとも思います。最後は乱入してきた捕り手に詩の詠唱を始めようとするも顎を銃弾で砕かれて戦闘不能になるといったような。
そういう事を考えてくると、つい4クールぐらいで七年戦争も交えた史実を踏まえた大河ドラマをして欲しかったという欲が出てきます。
勿論、ストーリーとして2クールでの本作品のような構成が美しいのは理解しているつもりですが。
最後に、長きに渡りシュヴァリエの感想を書かれた三和土さんへ。
私がこちらの感想文にコメントを入れさせて頂き始めたのは、三和土さんがシュヴァリエの死者やキャラを大切にするコンセプトを褒めていらしたのが私の本作品で感じた想いと同じだったからでした。その後、三和土さんの感想を毎週楽しませていただきました。そして私のコメントに応じて頂き有難う御座いました。お疲れ様でした。
追記
サン・ジェルマン伯爵は、ああなら別に復活しなくても。
マクシミリアンの心理の深みや、革命教団を道具とした王制転覆の企図が分かりづらかったことはやはり重ね重ね惜しいですよね。反面、猫さんが挙げられたロビンについてはそのあたりクリアされていたので、あるいはダブル主人公と設定してデオンと並べて物語の牽引役(あるいは視聴者の視点代表)とするのも一つの手ではなかったかなあと今になって思えたりしてます。そしてサン・ジェルマン伯爵(最期も小物臭ぷんぷんな…)といったいまひとつ活躍が薄かったキャラは整理してしまえば、もっとキャラ描写に深みを足せたのではないかなあとも。
>最初の老いた男装(?)のデオンが執事といる場面
このシーンはもはや忘却の彼方でした。次回の再見時にチェックしたいと思います。
>ロベスピエールたる晩年のロビンが、己をロビンとして過去の術壊を始めるというスタイルもありだったかとも思います。
そうですよね! 最初を老デオンの回想で始めて、最後は壮ロビンの述懐で〆る(デオンのその後は風聞の形で描く)のも洒落てていい感じ。それに、みんな見たかったと思うんですよ。ガチガチの理想追求者になって民衆を困惑させてるロベスピエール=ロビンの姿を。
こうしてコメントを交わさせてもらっているとやはりより多角的に作品を眺められますね。全体的に善くも悪くも真面目すぎた作りだったともいえるのかも。もっとふくらみ部分があればよりナイスでした。4クールではダれる可能性が高いので、間を取って3クールで視たかったかもしれません。もしくは、構成しなおして3時間ぐらいに全体を編集したスペシャル版なども視てみたい…