鉄人(しきしまメガネが線路に落ちてたラストカットの回まで見た):これねー ノレればかなり面白いんだろうけどなあ。私は波長合わない。昭和事件ネタの取り入れ方もむしろ不遜に感じるし。それがちょっとばかし悔しい、ラス前の盛り上がり。敷島たんの末路は、悲惨なの希望ん。好きなキャラか嫌いなキャラなのか自分でもよく分からん。京都エピソードでは、オマージュになっているであろう「怪奇大作戦」での『京都買います』でもシークエンス舞台にされてた東福寺の回廊が出てましたな。私、あそこ大好き。また行きたい。
ファフナー(#4と#5):実はアクチュアルな作品として無心に真剣に見ている。最終回までその集中力が持つかどうかはもちろん分からないけど。竜宮島は、アメリカ(新国連が世界の主導権を握っているらしき描写からいってもう滅びてる?)の傘の下から独立した日本のシミュレーション主体像なのでしょう。つまり、軍事的/外交的に日本は本当に一人立ちに耐えられるか、そしてそれにともなう犠牲が出る可能性を各々がどう捉えるか。それがサブテーマ(メインテーマは思春期における自我確立群像劇)なんだと思う。そんでもってその姿勢は、けっこう真面目だと私は思うわ。手法のあざとさもまた認めるしかないけどね(笑) しかし、そのあざとさが萌えオタ向けでなくて腐女子向けだったこと自体への不満が、この作品へのネット界隈での集中砲火状態の根幹にある気も、またしてるんだけど。まあそれも私観に過ぎない。ただね(しつこくてごめん)、アニメオタク界隈ってやはりソフトマッチョが基調だと時折実感するんですよ。それは非常に独特で興味深いと思う。いまだ自覚がほとんど為されていないだけに。
ところで、見ていない#6の諸感想を先に見たゆえに翔子の感情描写が非常によく飲み込めた。これは数少ない未放映地域視聴者の持ち得るアドバンテージと言えよう。彼女は他の子と(たぶん)違って自分の出自をある程度知っていたと。その事が生来の病弱さと相まって自分の存在理由の薄さが内部に生まれ、そしてなんとはなしにいつも仲間の中心にいる一騎への憧れ(恋愛よりも前段階の同一願望に近いと思う。“彼をパートナーとして欲しい”ではなく“彼になりたい”)に発展したのだろう。さらに戦闘下に陥ったことで、作られた箱庭としてのユートピアに住み続けていたことへの一種の(分不相応さからくる)罪悪感が、共同体への献身(ファフナー適応能力はこれに関係してるんだよね?ナショナリズムや自己犠牲心とは似て非なる、名状し難いもの…あえて言うとすれば、やはり愛(笑))に繋がったゆえに独走してしまった、と。私はそう解釈しました。