ポール・オースター 著/柴田元幸 訳/新潮社 刊
ゆったりした語り口で明かされる、オースター小説のネタ元メモ帳、といった趣き。定評のある柴田氏の訳文の力もあり、エッセイというのは内容そのものよりもやはり文体やテンポといったスタイル自体の方が重要なのだなあと知らされる珠玉の一冊。中でも、オースターの若い頃の精神面・経済上・社会性すべてが右往左往状態だった日々の思い出を綴った自伝的エッセイ中編『その日暮らし』が鮮烈な印象。世界の現実は、虹色の油で汚された海面に浮かぶ無数の魚。あらゆる成功の源は、そうした醜い事実を直視してなおかつ受け入れなければ手に入らない。オースターは洗練された臭みのないテキストを通じて、いつもそうした苦い真実をおだやかに教えてくれている気がする。