2004年10月18日

攻殻SAC 2nd GIG 第7〜12話をレンタル視聴

第6話でいきなし原発in東京(廃墟だけど)が出たのに肝をつぶしたり、素子の乳が1stシリーズに比べてぷるんぷるんなのに違和感を拭いきれなかったり、録画不可PPVの映りが異様に悪かったり(後にビデオデッキ経由でケーブルを繋いで見ていたのが原因と判明)して視聴を停止していた2ndGIG、一挙にレンタルビデオ3巻分を借りてきました。

以下、感想を書き損ねていた第5、6話分を含むちょこっと各話感想です。

#5「動機ある者たち」:今シリーズのキーキャラクターの片方であるクゼ登場。寺で座禅を組む首相(カリスマ性がまるでないキョドり様だったのはなんかがっかり)を襲撃するクライマックスシーンは、予告映像を見た時は盛り上がりを期待したのだけど実際にはそうでもなかったのでやや物足りない。

#6「潜在熱源」:核兵器によって壊滅したかつての新宿に地下原発が! …大胆すぎる設定に正直反応に困る。潜入捜査したトグサと同行することになるゲストキャラ・アサギはチンピラに襲われそうになったり、シャワーシーンを披露したりとやけにベタな行動を取らされている。ラストの展開もなー 後味悪い上にありがちで。

#7「狂想は亡国の調べ」:プルトニウムを極秘で搬送する計画の護衛役を押し付けられた格好の九課。一緒に仕事した自衛軍の人はビビリで合田にちょっと煽られただけで銃乱射。無駄に難民が数人死ぬ。でもおまえらはブラフだったんだよーんとわざわざ空のアタッシェケースを見せつけられて(合田の眼鏡部下、ふつーの容貌でかえって印象に残る)さらには合田がいきなり逆ギレ恫喝。今回はやられちゃったけど〜てな感じで、それでも素子たんは冷静だった。合田の態度豹変がいかにも官僚的で面白かった他は特には。この時点では、まだまだシリーズ全貌の要点が繋がってみえないのだよな。

#8「素食の晩餐」:素食と呼ばれる台湾式の精進料理(野菜などで肉や魚料理を本物そっくりに作る)の事は漫画かなにかで知っていたけど、それと今回のエピソードがどうイメージとして繋がるのか正直ピンとこない。…ああ、えーとというかエピソードの中身自体がなんだか思い出せません…

#9「絶望という名の希望」:このエピソードからちょっとだけ、シリーズテーマがつかめそうな感触が得られてくる。素子がタチコマたちに援護させてデカトンケイル(このあたりの設定になるともうよう分からんのでOHPを参照願います)に潜る展開での、電脳空間表現のタイミング取りとかBGM(『I can't be cool』)との相性とかが凄く気持ちいい。文芸面だけでない本作の魅力が実感できる瞬間でした。しかし、なんでお役所の端末から構成員の仮想人格に接触できるの?あたちわかんない。でもそんな疑問はスルーしてしまっても、それなりに理解できるし、また全てを理解させようとは考えるべきではないのがイデオロギーや先端テクノロジーをモチーフにする場合の通常である気がする。だってそういうものって感覚的に言えば、ヌエでしょう?

#10「イカレルオトコ」:トグサの九課における立ち位置の(目立って問題にされないとはいえ明らかな)危うさは、1stシリーズの最終回において大々的に描写されていたわけだけど、今話も同様にトグサくんの暴走がおがめる。でもその青臭さがなんか好きだ。ホッとする。しかし(クライマックスシーンにおける)ああいう上役のふるまいに嫌悪感を持たないあたりは組織や共同体に属しきれた事のない私にはどうにも共感しかねるんだけど。まあすべてはお互いの信頼関係に依るもの、と考えれば問題はない気も大いにする。そういったボーダーな社会性肌感覚も本作の特色の一つだし。ともあれ、公判エピソードというイレギュラー性がとても楽しめた回でした。ところでゲストキャラの屑男、「プラネテス」の主人公になんか顔似てない?ダブって仕方なかったんだけど(笑)

#11「草迷宮」:こちらも単独配置的エピソード。素子が全身義体化した経緯が初めてくわしく語られた。おそらく士郎正宗監修済だろうけど、原作の方でも設定は同じなんだろうか。基本的に感傷的なシナリオではあれど、白昼夢としてのレトロエキゾチックな横町の雰囲気の濃さ、そしていつも通りの挿入歌使用(今回は「i do」)の巧さでほどよく洗練されている。さて少女時代の素子が少年に身元を名乗れなかった理由だけど。やはり全身義体化についての法律が整ってなかったということなのかな。

#12「名も無き者へ」:第9話の合田(仮想人格ver.)の台詞によって今シリーズが“戦後日本”をモチーフとしている事がつかめるのだけど、今エピソードではさらに具体的に戦後のとある印象的な事件(そういえば下山事件を彷佛とさせる現場写真のカットも何話目かで見たっけ)を思わせる展開がサプライズシーンとして登場する。そんな中でクゼは自分自身の思想や同志との連帯に違和感を覚えはじめる、という具合でシリーズ前半戦のクライマックスがきちんと描かれていた。ここにきて、ようやく続きが気になり始めてきた。

ビデオ第6巻(#11,#12所収)の映像付録として神山監督によるシリーズ前半のまとめでも語られていたけど、おなじインディウ゛ィデュアリスト(独立主義者。簡易に理解すれば、現代の右翼みたいな感じ)にしても、クゼ/合田/福岡タワーの上に集まった『個別の11人』メンバーの間には微妙ながら看過できないレベルの違いがあると分かる描かれ方が為されている。そこに混乱しつつも、リアリティのある妙味を感じられて面白いです。
posted by 三和土 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ/TV番組感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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